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七福神
ってなあに

お正月はみんな誘って七福神めぐり

いろいろな福徳を授けてくれる七福神

昔から庶民の味方の七福神
恵比寿・大黒天・毘沙門天・弁財天・福禄寿・寿老人・布袋の7神。
吉祥天を加える場合もあります。

今の七福神のかたちができあがったのは、室町時代。

恵比寿や大黒など個別の福の神として原初的信仰は、古代から培われてきていました。
これがだんだんと発展して、南北朝時代の仏画の中には、現在見られるような姿の大黒天、毘沙門天、
弁財天などが、登場してきました。
また、鎌倉時代以降、永楽画の普及に伴って、禅画の画題で親しまれる布袋和尚や道徳思想から発生した
福禄寿、寿老人がよく知られるようになりました。

こうした状況の下で、室町時代に「七難即滅」「七福即生」にあらわれた聖数7に基づいて、
また、当時好まれていた、「竹林の七賢」などにも倣って七体の神様が組み合わされたものと考えられています。

記録からは、応永27年(1420)に京都伏見で七福神をかたどった風流行列がおこなわれました。
また、文明年間(1469〜1486)には、京都市中に七福神の格好をした
「七福神盗賊」が出没したといわれています。

七福神は、瑞祥のしるしとしてさまざまな絵画や彫刻の題材となって、歌謡、舞踊、能、狂言など
芸能の世界まで広く浸透しました。

このように七福神の体系は、室町時代、今日の町衆文化の中で形成されたと言えますが、
その背景には、中世末期に至って町人生活の中で蓄財観念が萌芽し、
福徳と言う現世利益を求める意識が育ってきた事があげられる。

これが商業資本主義の発達をみた江戸時代になると、
福徳授与の神としての七福神信仰はいよいよ盛んになっていきました。

天明年間(1781〜1789)には、「七福神詣で」と称して正月元旦から七日までに
一年の幸福を祈って七福神をまつった社寺を巡拝することが流行し、
以後年中行事的に行なわれるようになりました。

また、正月にめでたい初夢を見るため、宝船の絵を枕の下にしいて寝ることも
このころから庶民のあいだに普及しました。

江戸の町方では、正月の縁起物として、七福神と金銀財宝を乗せた宝船の図柄に
「永き世の眠りのみな目覚め、波乗り船の音のよきかな」
という回向文を添えた贈り物が、
「おたから、おたから」の呼び声とともに売られていました。
七福神めぐりのあちこち  
                       浅草七福神   隅田川七福神   谷中七福神 
恵比寿

釣りざおを持って鯛を抱えたおめでたい姿の恵比寿は、日本の福神の代表格です。
もともとは、イザナギノミコトとイザナミノミコトの間の第一子、ヒルコノカミでしたが、
生まれたとき骨なしの不具だったため葦の葉船に入れられて海に流されてしまうのです。

摂津国西宮の住人戎三郎(エビスサブロウ)に育てられ、長じて恵比寿神(天)になったといわれています。
また、これとは別に、大黒主命(オオクニヌシノミコト)の子であるところの、
事代主命(コトシロヌシノミコト)が恵比寿神であるという説もあります。
古来豊漁の神としてあるいは、航海の神としてまつられていた「市神」としての性格が強くなって
七福神の中にあっては、商売繁盛にご利益があるとされています。
大黒天

大黒頭巾をかぶって大きな袋を肩にかけ、打出の小槌(うちでのこづち)を携えて米俵の上に乗っている姿が馴染み深い姿ですが、
梵名をマハーカーラといい、マハーは、大きい、カーラは黒を意味します。

「大黒」「大国」との音が通ずるところから、日本神道の大国主命との習合がされて、日本的な大黒天が形作られるようになりました。
毘沙門天

毘沙門天は、仏教の四天王のうち北方守護にあたる多聞天です

頭に鳥形の冠をかぶって七宝の甲冑を身につけ右手に宝棒か槍を持ち、左手には宝塔をささげている。
足下には、邪気を踏み従えて、憤怒の相をしています。
福々しい相好が目立つ七福神の中にあって異色な雰囲気を漂わせている神様ながらも
威光を身にそなえさせるというご利益があります。
弁財天

七福神の中の紅一点の弁財天は、インド神話の河川の神、サラスパティーが原型。
芸妓、福財、知恵を授ける神として信仰

鎌倉の江ノ島、琵琶湖の竹生島、安芸の厳島の弁財天が日本の三大弁才天として有名です。
福禄寿

中国道教の福(子孫繁栄)、禄(財産)、寿(長寿)の思想が日本に入って、仙人信仰などと融合して神格化されたものです。
寿老人

福禄寿から特に長寿を司る役割が分離されたもの、あるいは、
道教の神々の中の太上老君か南極老人(竜骨座のカノーブスの神格化)から
発生した神ともいわれています。
一般的には、寿老人は、福禄寿のような特異な姿ではなく、白髪白ひげの老人で、寿命を記した絵巻をさげた杖と、
難を払う団扇を持ち、1500年をへた玄鹿を連れている。
この二神については、胴体異名ともいわれるとおり、多くの混同がみられます。
布袋

中国梁に実在した禅僧で、名は、契此(かいし)といいました。

太鼓腹を突き出した異様な風体で日用品の一切合財を入れた大きな袋を杖にくくりつけ、悠然として市中を闊歩しては、
人々に喜捨を乞うたことから、「布袋」と呼ばれるようになりました。

弥勒菩薩の化身であったともいわれ、大漁、子宝などのご利益があります。
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